半端であったけど
学校に行ったし
就職はした
結婚をしたし
子供もできたし
離婚もした
人生の分岐点と言われることは大体経験したじゃないか
いまさら何に怯える必要があるんだ
「言葉」は同時に頭(または心)に入ってくるが
情報となるか
知識となるか
この2つの違いに気づいたのは
ごく最近のことだ
情報は「あらゆる判断材料の一つ」であり
知識は「判断を下す際のゆるぎないもと」であること
知識は(時に無条件に)得るものであっていいが
情報は収受選択するものである
情報は使うときを待つもの(もしくは使う機会を作る)であって
知識は身についていて、いつでもそばにあるものかもしれない
知識は入ってきて留まるものであって
情報は出て行って残らないものかもしれない
元気ですと笑える
元気でしたと答えられる
どれも本当
元気でないと 顔を曇らせる
元気ではなかったと 口を濁す
どれも本当
時によって違うのは 人間だから
前のことを 聞かれると
元気ではなかった
今のことを 聞かれると
どっちにもつかない
今しか言えない
「今」を踏まえてしか 過去のことは言えない
今も過去になるけど
「今、『元気』です(ではない)」しか言えない。
過去を、歪曲せずに言うのなら
「今の私」を作ってくれましたとしか言えない
元気でいたかどうかは どっちでもいい
「今」元気かどうか
「元気かどうか」も 問題でもない
今があるか ないか
「頭」ではなく 「心」で人間は語りかけるのだと
長いようで短い 休みの期間で知った
適当な言葉は無いものだ
「何があったの」とか
「どうだった」とか
「何か変われた」とか
私のいなかった3ヶ月間について聞いてくれる人はいない
聞いてくれるのは「私が私の為に記録して残せてきたもの」だけ
それだけが、答えてくれるし、聞いてくれる。
そんな状況は
殺風景だけど ありがたくて
無機質だけど 居心地は悪くない
私の心は「変わった」気でいるけど
やっぱり「周りは変わっていない。
私だけが「変われた」と言える。
そう割り切って生きられるなら
もっと
もっと
楽になれるね。
言いたいのだと思う
「君は変わった」と言ってくれと。
うれしいとは いかりとは かなしいとは たのしいとは 何か
まず自分の中で それが何かをまとめておくことだ
いつ どこで だれと なにをして なにがおこったか
それが どんな感情と結びついたか 心に刻んでおくことだ
似たようなことを 見聞きしたとき 感情を呼び起こすことが出来るようになる
人と繋がるうえで 私が一番大切にしていきたいことだ
一年前の私には できていなかったことだ